「ふたりの夏物語」杉山清貴&オメガトライブが放った永遠の夏メロ!


ふたりの夏物語

杉山清貴&オメガトライブ

1985

杉山清貴&オメガトライブの最大のヒット曲。

いまでも、ふとしたときに頭の中で口ずさんでいます。


FMで初めて聴いたとき、とてもキラキラとして輝いている音色に感じました。

レコードで買ったけれど、その音を再現できません。

そうなんですよ。

当時、FMでは最高級の音質で音楽が流れていたんです。

今もかな。

だからFM番組をエアチェックして、カセットテープに録音したほうが「良い音」な場合が多かったです。

エアチェックとは、放送を録音することです。

オンエアーされているものをチェックする、キャッチする、録音する、みたいな感じです。

だからなのでしょう。

FM番組表が雑誌として市販されていて、大人気でした。

付録の「カセットレーベル」も大人気。

むしろカセットレーベルが欲しくてFM雑誌を購入することもあったくらいです。



ふたりの夏物語」は、私にとっては「思春期の想像上の夏物語」というニュアンスです。

リアリティのあるドラマではなく、楽しむことを前提にしたフィクション

だから、少しくらい、おおげさなくらいが丁度良いです。

レコードジャケットの写真も美しくて好きです。そのまま飾っておきたくなるジャケットです。




思春期の想像上の夏物語

思春期真っ盛りに出会って聴いた曲なので、当時の自分自身を染めあげる強烈なインパクトがありました。

当時、自分なりに毎日いろいろ頑張っていきていて、それでもどうしようもなくて傷ついたり疲れたり嘆いたり立ち直ったりしながら、ひたすら「未来」を信じて生きていたわけです。

垢ぬけなくて、情けない姿をさらしていたんだろうなあ。

だけど愛おしいです。なにもかも。

それになんといっても、いい感じで忘れています。

記憶が薄れているからこそ、「懐かしいなあ」なんて、しあわせに言えるのですよ。

だって現実は、本当に厳しくて残酷で、つらいことが多かったから。

思春期真っ盛り。

受験。

親の圧力。

身内からの嫉妬。

くらべられて、見くびられたり、敵意をむき出しに攻撃されたり、本当にどうしようもない時代でしたね。

くだらねえ。なのに愛おしい。

あんなに毎日ささいなことで喧嘩ばかりして口論ばかりして、殴った蹴ったの応酬で疲れ果てて眠る毎日でした。

いや、眠れれば良いでしょう。それだけでも。

寝ている時間を惜しんで、受験勉強をしていました。

もう限界だったな。

なにもかも。

だけど「未来」を信じることができました。

音楽のおかげですよ。

音楽のおかげです。

夏のおかげ。

美しい女性たちのおかげ。

美少女のおかげ。

他人には、どんなふうに見えていたのか、サッパリわかりませんが、私には世界は美しく輝いていて、美しい女性に目を奪われて、美しい素肌を求めて恋焦がれていたのですよ。なんという、しあわせ。

うん。後悔ないです。

夏と女と海と潮の香りと髪の香り、素肌の感触。

最高じゃないですか。

それこそが人生の喜びですよ。

ぜんぜん手に入らなくても、ほら、そこにあるのですから。

存在していれば、いつか必ずつかみとれます。


そんな愚かで情けなくて愛おしい日々のテーマソングになっていたのが、「ふたりの夏物語」です。

すでに春にリリースされていて、春の桜の季節にヘビーローテーションしてました。

「ふたりの夏物語」を繰り返し聴いていたのは夏ではありませんでした。春です。

夏に憧れ、自分の無力さに泣きじゃくりながら、受験と家から逃げ出したくて、南国の常夏の世界にいる裸の美少女を思い描いていたのです。

圧倒的な生命力を全身に浴びたくて、曇り空に手を伸ばしたりしていました。

予備校の帰り道、恋人ではない異性と喫茶店でテキストを広げては、

『どうしてわかんないの。書いてあるでしょここに。あん?読めてるんでしょ?ならなんで。なにがわかんないのよ。私のほうがわかんないわよ』

と、蚊の羽音のように小さな声で、ののしられておりました。

本当に勉強が、わからなくて、わからなくて、わからなかったのです。

なぜでしょう。わかりません。でも勉強してました。なにを支えに?

夏です。

夏が待っているから。

それだけを頼りに。

きっと出会えるはずの美少女に。

本当は何もないのだと心の奥底で悟っていても、深層心理に芽生えてしまった夏物語は止められません。そういうものなのです。


だから「ふたりの夏物語」を聴くと、懐かしさよりも、「未来」を思い出します。

ええ。まだ私には、手に入れていない未来があるのです。まだ赤道直下の南太平洋の楽園に行ったことがありません。写真で見ていた珊瑚礁を、いつか。

でも、それ、なんのために?

知るかよ、そんなの。

なんのためとか、何に役立つとか、そんなことのために生きているわけなのかと逆に問いたいくらいです。

どうしようもないものって、ないですか。

どうしようもないんです。

わかんないんです。

ただもう心も体も恋焦がれてしまっていて、「未来の夏」に向かって生き続けてしまうんです。




手にした夏は、年齢の数だけあります。

想像していた以上の成果もありました。

素晴らしい果実を手にして、味わい尽くして、シェスタを満喫して、生きているって素晴らしいと実感しました。

最高です。

それもこれも、音楽との出会いのおかげ。

違いますか。

違わないですよね。

そんな音楽の中でも、ひときわ輝いているのが「ふたりの夏物語」です。




杉山清貴&オメガトライブ。

活動期間は短くて、私は一度もコンサートに行くことができませんでした。

生演奏を知らないし、再結成コンサートも見逃しました。

けれども。


あのリアルタイムで夢中になって聴きまくった日々があるので、ぜんぜんOKです。


ふたりの夏物語」は、シングルバージョンが好き。

アルバム「アナザーサマー」に収録されているのは、ややエコーというかディレイというのかエフェクトが強調され過ぎていて、「ん?」となります。でも好き。




ふたりの夏物語

on album ANOTHER SUMMER

杉山清貴&オメガトライブ

永遠の夏メロです。




written by 水瀬次郎

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